山田三方(やまださんぽう)
伊勢神宮には内宮(ないくう)と外宮(げくう)の象徴的な大きなお宮がございます。このうち外宮のある伊勢市駅周辺は、古くから山田(やまだ)と呼ばれていました。このことから現在の伊勢市駅も明治初期までは山田駅でした。
室町時代から明治初期まで山田の自治組織が存在していました。それが「山田三方」です。山田三方は、民衆の意見を取りまとめ、山田奉行所へ要望を出すなどこの地域の発展に寄与する大切な組織でした。その歴史ある名称を屋号としております。ここから西へ300メートル先に山田三方会所跡に石碑が建っています。
こうして生まれました
昭和50年頃、創業者の曾祖父あたる美濃松蔵と朋輩であった錦(大紀町)の知人の愛娘さんが、伊勢の勢田川に架かる錦水橋の袂で錦水橋のたいやきを始めました。しっかりとした食感のある粒あんのたい焼きは、40年以上にわたって伊勢の人々に愛され親しまれてきました。しかし、高齢であることを理由にその店を閉店することに。
ちょうどその頃、コロナ禍による外出制限により、時間的な余裕が生まれ、何か新しい取組みを模索。そこで、幼少のころから食べてきた錦水橋の粒あんの製造方法継承を依頼することにいたしました。「この味をそのまま受け継いでくれるのであれば」と技術指導の承諾を得て、令和3年4月、粒あん製造の修行を始めます。
ふっくら炊きあがった小豆の香りは心を和ませてくれます。そこに砂糖を投入。添加物などは一切使いません。加水は最小限で、粒あんの美味しさをしっかりと残す製造方法は40年以上培ったまさに熟練の技。この粒あん修行が終わる頃、錦水橋たいやきはのれんを下ろしました。
山田の歴史
かつて「山田」と呼ばれた場所は、現在の伊勢市駅・宇治山田駅界隈を含む伊勢神宮外宮の門前町を指していました。
山田三方とは、武士が統治しない神領だった伊勢において、室町時代に発展した伊勢の山田地区の自治機関の呼び名でした。室町時代以来明治維新まで存続し、坂・須原・岩渕の三地域に分け、各三方から「年寄」を出して、会合をもって事を決めたことが由来だそうです。現在では、かつての「山田三方会合所」と「宇治会合所」が統合され、「伊勢商工会議所」が後継団体となり活動しています。
自治行政役所跡は、伊勢神宮豊受大神宮の別宮「月夜見宮(つきよみのみや)の近くにあります。山田と呼ばれる地域への愛着と活性化に貢献したいという想いを込め、この歴史ある自治都市伊勢の象徴ともいえる名前を、三方焼きの店舗名としていただくこととなりました。
あんのこだわり
伊勢の中心を流れる勢田川に架かる錦水橋のたもとで約40年間伊勢人に愛されたたい焼き屋さんがありました。そこの粒あんは北海道産の小豆にこだわり粒がしっかり残ったおいしい粒あん。伊勢人に大人気のたい焼きでした。残念ながら高齢を理由に惜しまれながら、令和3年の春で閉店。最後の1ヶ月この店に粒あん製造の修行に入りその製法を継承させていただきました。40年の歴史を受け継ぎ、原料の北海道産小豆はもちろん、使用していた鍋もそのまま受け継ぎ全く同じ製法で粒あんを炊いています。
三へのこだわり
日本には三のついた言葉がたくさんあります。
三宝(神棚のお盆)、三種の神器、三方良し、三人寄れば文殊の知恵、三役、三三七拍子などなど三は日本人にとっては親しみのある数字なのでしょうか。
三角形のこだわり
日本人は古来より、山そのものが神であり、祈りの聖地と考えられています。いわゆる山岳信仰です。いまでも、お正月には山から松を切ってきて、歳神様をお迎えする門松を用意したり、神棚などにお供えするご飯や塩などを山の形にしている方も多いと思います。おむすびも三角にしているのも、こういう理由から来ているのかもしれません。三方焼きの三角も日本を感じていただける形にしています。三角形の見た目も可愛くて、食べやすいと評判です。
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